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地方はもっと出来る!わがまちにはまだまだ可能性がある! 〜崎田日南市長トークイベントにて〜

 

9月23日(金)の夜、大阪府泉大津市にて開催されたトークイベント「これからの泉大津を語ろう」に参加してきました。

 

写真左が、宮崎県日南市長の崎田恭平氏

彼が市長に当選する前からのお付き合いで、平成25年と26年には広島東洋カープのキャンプ激励も兼ねて、日南市へ視察にも伺いました。

 

右側が、泉大津市議の南出賢一氏

林英臣政経塾の同期生であり、これまで7年間同志として互いに研鑽し、刺激を受け合ってきました。

 

第1部は、崎田市長による日南市活性化の取り組みについて。

 

現職市長と県議会議員との三つ巴の激戦を制し、2013年に市長に就任した彼は、これからの日南市が目指すべきビジョンをまず提示しました。

 

崎田市長が素晴らしいのは、そのビジョンを若い市長による目新しい思いつきではなく、日南市の歴史に求めた点です。

 

小村寿太郎を輩出した日南市は、飫肥藩と呼ばれた江戸時代から、教育による人材育成と創意工夫による新産業振興に力を入れる風土があったそうです。

そこから彼は、「創客創人(そうきゃくそうじん)」というフレーズを打ち出しました。客(=仕事)を創り、人を創ることで、疲弊の一途を辿っていた日南市にかつての活気を取り戻そうという崎田市長の奮闘が、ここからスタートしました。

 

「創客創人」というビジョンを、市民とその代表である議会、そして役所の職員たちと共有するために、日本一薄くてわかりやすい「市の総合計画」を策定し、さらに映像化までやったそうです。(下がその映像です)

 

 

これらをつくって終わりではなく、市役所職員とは徹底的に風通しを良くして意見を吸い上げ、議会とは粘り強く建設的な議論を行い、市長自らがまちに繰り出して市民と一緒に動いたそうです。

 

そして、市長が先頭に立ち、役所の職員を巻き込み、議会と市民の賛同・協力を得て、以下のような成果を3年半で次々に達成していきました。

 

・IT企業誘致に次々成功し、ニーズの高い事務職系雇用を拡大(10社に迫る勢いだそうです)

・シャッター街だった油津商店街を再生(詳細記事はコチラ

・居酒屋『塚田農場』と提携し、ふるさと納税を就任以前の数百倍に急拡大

・大型クルーズ船を呼び込み、インバウンド観光による商業活性化を推進

 

しかも、市が持っている場・機会・信用を民間に提供することで人的資源や資金を呼び込み、市の予算をほぼ使わずに達成したのだから「素晴らしい」の一言です。

 

また、市長のビジョンに触発され、地元の高校生たちが自分たちなりの「創客創人」を考えて、外国人観光客へのガイドなどを自主的に取り組み始めているそうです。

 

宮崎県庁職員だった経験を活かしたきめの細かい配慮を散りばめながらも、「私がやると言ったらやる。出来ない理由を考えさせない」という崎田市長の強いリーダーシップと行動が、今の日南市の躍進の原動力なのだと強く感じました。

 

やはり、まちは首長で変わる。

 

改めてそう痛感したプレゼンテーションでした。

 

 

 

第2部は、南出泉大津市議も加わってのクロストーク。

 

南出議員も、「1人の100歩より、100人の1歩がまちを変える」を合言葉に、人材育成・公園を通じてのコミュニティ形成・商店街活性化など、企業・市民・ブレーンを巻き込んで様々な挑戦をしてきました。特に人材育成で定評があり、多くの大学生が彼の下で学び社会で活躍しています。「南出議員と共に活動したい」とわざわざ泉大津市に移り住む人もいるくらいです。

(つい先日、この人材育成事業は「一般社団法人松南志塾」としてとうとう独立しました。)

 

崎田市長からも、「市議会議員でここまでやっている人を他に知らない。ぜひ市長になって、もっと泉大津を盛り上げてほしい」とエールが送られました。

 

私は今回参加して、「地方はもっと出来る。わがまちにはまだまだ可能性がある」という刺激と希望をたくさん頂きました。

 

失礼を承知で書きますが、大都市から遠く、面積が広く、過疎高齢化が進む日南市のような田舎でも、市長のリーダーシップと職員のアイデアと市民の協力が噛み合えば、まだまだ、まちを活性化し盛り上げることができる。

 

奈良は、日南に比べれば遥かに恵まれています。それを活かすために、政治が果たす役割はやはり大きい。

改めて頑張らねばと強く思った夜でした。